前回は、転職を繰り返している40代なかばの男の話~20代~でわたしの20代での転職遍歴ということをお話しました。
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今回は30代で働いていた10年間を振り返って、お話していきたいと思います。
30代での転職は1回だけでしたがどのような気持ちで勤めていたのかを少しは詳細にお話ができると思います。
目次
ガラスリサイクル業への転職
この会社への入社の経緯は、わたしの実家のお客様の紹介でした。
わたしの実家は、洋品店をしていましたのですが、懇意にして頂いてたお客様がガラスリサイクル会社の会長でした。
前年に前々社長が亡くなり前社長に代が変わったのですが、その前々社長が計画した地方への工場建設に伴い増員するということでお誘いを受けました。
この会社を辞めた理由は、会社と揉めてしまったことにあります。
後で理由を明かしますのしばしお待ち下さい。
その会社に入社してまず驚いたのが正社員であっても給料の計算がが時給計算だったことです。
もちろん正社員ということで各種手当は出ますし社会保険や厚生年金等もしっかりとしていました。
入社当初1ヶ月は研修期間ということもあり時給は1000円でした。
新工場への転勤
研修期間は3ヶ月と聞いていましたが、その研修期間中に新設された工場に出張に行ってくれと言われました。
出張と入っていましたが実際は転勤でした。
今思うと出張と言っていたのには意味があり、出張手当を附けるためだったのかなと思っています。
その出張手当が思いの外高額で転勤して半年を超えた頃には、手取りで3〇万円を超えていてこんなに貰っちゃって良いのかと有頂天になっていました。
その新設された工場で出会ったのが当時専務だったYさんです。
Yさんは前々社長の息子であり前社長の甥っ子でした。
Yさんにはとても良くしてもらい、仕事の時はもちろんプライベートの時でもよく一緒に行動していました。
サーフィンやダンスを覚えたのもこのYさんの影響が大きかったですね。
そんな順風満帆に見えた新工場への転勤ですが、雲行きが怪しくなってきたのが転勤から2年経った頃でした。
新しい会長として前々社長の奥様が就任したのです。
それも乗っ取りに近い形で。
そのあたりの詳細な経緯は割愛させてもらいます。
詳しくお聞きになりたい人はコメントください。笑
その新会長が抜本的な改革をしてきたのです。
初めのうちは社長を始めYさんも新会長と対立していましたが、Yさんは新会長の息子ということもあり徐々に恭順していくようになりました。
会社全体が黒く分厚い雲に覆われていくような、そんな雰囲気になっていきました。
トラックドライバーに異動
そんな暗い雰囲気を感じつつも新工場での勤務を5年ほど勤め、本社に戻ってくるのを機にトラックドライバーとしての勤務に異動になりました。
会社の取引先は北関東から九州にまであったので、トラックで走りまくる日々でした。
どれくらい走りまくっていたかというと一例を挙げてみます。
神奈川県で朝から夕方まで会社を回り、リサイクル品を回収したり製品を納めたります。
夕方に神奈川で荷を積み終わった後に下道を使い夜中の間に愛知で荷を降ろし、車を乗り換えて朝までに三重まで下道で行きます。
朝から夕方まで愛知~三重を3往復し、終わったら車を乗り換え荷を積み夜中の間に下道で神奈川に戻ります。
荷を降ろしてまた違う荷を積みます込んだ後、朝までに茨木まで下道と高速を使い向かいます。
茨木で荷を降ろし積み込んだ後、神奈川に戻り夕方までリサイクル品の回収や製品を納める配送をして勤務が終わります。
この運行の間に寝れたのは現地に着いた時の待機で30分から1時間、計3時間ほどです。
あなたならこんな運行どう思うでしょうか?
わたしが運転していたのは大型のトラックです。
寝不足でこんなものを運転していたら事故を起こすことは容易に想像できると思いますし、実際私は事故を起こしました。
幸いにも死亡事故や相手が大怪我というような事故ではなかったのですが、会社は全面的にわたしが悪いとして減給処分になりました。
会社に対しての不信感が芽生えた瞬間です。
このトラックドライバーとしての勤務は3年ほどの間勤めていました。
トラックを降りた理由は、寝不足での運行で再度事故を起こしてしまったからです。
まだ続きます。
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